今から30年も前の話しである。
当時、中学3年生の修学旅行は班毎に各地を見学することが主流だった。
ある班のコースでは、保津川をトロッコ列車で遡り、帰りは小舟で下るというものがあった。
危険がともなうので、私が付いていくことになった。
6名の男女と私の乗った小舟は激流を下った。
早瀬に興奮していた生徒たちも、だんだん慣れはじめてきた。
ある角度を曲がると、開けた川岸が現れた。
と、3人の男子高校生が背を向けて立っていた。
彼らの先に何があるのかと注目したとき、3人は前屈し、いっせいに黒ズボンを下げた。
白い大きな桃が3つ、ぶりっと並んだ。
「ウオオッ!」
という喚声が舟からあがった。
当時、流行していた尻出しである。
3つの桃は、あっという間に視界から消えた。
「先生、オレ、ゼッテーやるぜ。高校さ行ったら!」
という声。
見ると、一年のときに担任したT君であった。
家庭訪問のとき、玄関で甲斐犬と一緒に私を待っていたT君。
犬に似て小柄だが、活発で足が速かった。
運動会の全級リレーで6クラスあるなか、1位になったこと。
T君はアンカーを務めたことなど浮かんできた。
T君の鼻の下の産毛がだいぶ黒さを増していた。
この子ならやるだろうな、と思った。
船頭の竿さばきに見とれながら、飛沫に身を縮め、舟は下る。
前方に岩を砕いてよじれるように流れる激流が出現した。
すると、先ほどのT君が、
「先生、これがクライマックスかなあ?」
と大声で指さした。
私ははっとした。
1年のとき、クライマックス法を教え、『初年の夏の日』を読んだ。
この子はクライマックス法を自分のものにしたなと思った。
人間はなにかをプロデュースするとき、クライマックスのような最高の山場を設定するということを、念頭においてものごとを見るように成長したことがうれしかった。
国語科は、2人の教員で担当していたので、2年、3年は教えていないのに。
生徒も私も固唾を飲んで構え、船頭に安全をゆだねた。
ビニールで飛沫を防ぎ、やっと難関を乗り切った。
穏やかになった川面に土産物を売る小舟が遊よくしている。
その向こうに、渡月橋が横たわっていた。